2021.3.3 王子ホール
加藤昌則 曲 / 宮本益光 詩 による作品を中心に
・落葉
・京都人の夜景色
・Memory of VISBY
魔女の住む街 / 祈りの街 / 城壁となって
・残酷な12月…涙 / 猫が呼んでいる…希望
・「名もなき祈り」より
空に / 今、歌をうたうのは
・ミュージカル「GO FOR IT」より
【君よ、信じるか】(初演)
・詩がある
・もしも歌がなかったら
2006年からスタートした「王子な午後」も、もう15年目に突入。これまで28回もステージに立たせていただいた。全く声が出なくなって延期したときも、コロナで延期したときも、いつもあたたかく「おかえり」と迎え入れてくださる、まさに私のホームタウン…いや、世界の名だたる演奏家がその妙技を披露する、クラシック音楽の中心に位置するホールで、どうして私が15年、28回も演奏させていただいているのか、考えれば考えるほど謎である。ただ感謝の念しか思い浮かばない。「ホームタウン」などと調子にのった言葉を綴るのに、申し訳ない思いすらある。
そんなこと言いながら、その場所で自作曲ばかりを並べたコンサートをやるのだから、やはりお調子者と揶揄されても抗弁するつもりはない。
言い訳がましく聞こえるかもしれないが、私が詩を書き、曲を作るのは、私が音楽家としてそこに立ち続けるために必要な行為だ。クラシック音楽という(その定義すら訳が分からないけれど)恐ろしく深遠な世界に立ち向かうために、私は私なりの方法で音楽と仲良くなってきた。それが詩を書き、作曲することなのだ。
加藤さんとの演奏は、世界の誰とプレイするよりも不安がない。私が彼の作品を学び、理解し、そして愛しているように、彼もまた私の癖や好みを理解しているのだろう。この安心感は、1995年から続く僕らの創作活動の結果なのだろうと、25年を経てしみじみ思う。
2009年に作ったスコットランドの民族衣装を久しぶりに揃って着たが、あのスカートはどんなに正統だと言われても落ち着かない。いつもより高い声が出そうな気になる。
今回のプログラムで特に感動したのは、スウェーデンのヴィスビィの思い出をまとめた3曲を演奏できたこと。2008年に立ち寄った小さな世界遺産の街は、滞在時間がたったの4時間ほどだったにもかかわらず、私たちの創作意欲を激しく刺激した。本当に美しい街だった。
これらの詩の主語が「僕ら」というのも、また良い。演奏するとあの時の僕らに会えるような気持ちになる。写真も動画もいいけれど、僕らは音楽で記憶できるのだ。風景も、匂いも、そして心も。
誤解のないように申し添えるがこのコンサート、「王子ホール」だから「王子な午後」ってことだよ。とか言いながら、30回を迎えるときには「キングな午後」に改名しようか、なんて思っていたり。