NISSAY OPERA 2021

ラ・ボエーム


2021.6.12~6.13 日生劇場

宮本益光訳詞による日本語上演

台本:ジュゼッペ・ジャコーザ、ルイージ・イッリカ

作曲:ジャコモ・プッチーニ

指揮:園田隆一郎

演出:伊香修吾

管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団



青春賛歌②

正直に言おう。

 

私より若い世代の歌手たちが、瑞々しくボヘミアンを歌い演じているのを観て、私は何だか切ない気持ちになってしまった。

 

人の舞台を観ると「自分ならこうやりたい!」という欲と言うか、負けん気と言うか、とにかく心の中がざわつくのが常だ。それは決してそこにいる舞台や人を否定しているのではなく、刺激を与えられ、その反発として自我が顔を出すのだと思う。

 

「ラ・ボエーム」のように何度も演じている演目では、当然、見える部分、感じる部分も他の作品より多くウズウズするのだろうなぁ…と思って席についたのだが、不思議と落ち着いたままだった。上手く言えないのだが、ボヘミアンたちのあの溌剌としたスピード感に置いてけぼりを食らった感じで。

 

むむむ…これは私が年を重ねたせいなのだろうか。私はその舞台に自分が立つことを想像してみた。うむ、動きについていけない…ということはなさそうだが…なんだろう。

 

私はその違和感を払拭すべく、保存している限りの自らの出演映像を観た(ボエームのね)。するとどうだ、かつての私のスピード感は私の予想をはるかに超えていたのだ。若い時の私が側転に何の不安も抱えていなかったのに、今では成功する自信すらない…そんな感覚を味わったのだ。ええ、そうだよ、つまり予想通り年を重ねたせいだったよ。

 

いや、誤解を恐れずに言えば、まだどの役も歌えるとは信じているのだけれど、日本のように恒常的にオペラに出演できるか分からない環境では、自分でも気付かないうちに大好きな役とお別れする日が来るのだろうなぁ…と感じた次第。

 

「やりたい」だけでつとまらないのもプロの世界だし、醜態を晒すのなんてまっぴらごめんだ。与えられた役、機会を、毎回「これが最後かもしれない」と思って、全身全霊を捧げよう…そんな当たり前のことを再確認したのだ。

 

世間に疎まれても、どんなに貧しくても、自分のやりたいことに身を捧げ、仲間たちとバカやって、でも自分が明日死ぬなんて微塵も感じていない時、そんなボヘミアンな瞬間って確かに自分にもあった。

 

もう一度、舞台で無鉄砲なボヘミアンに生きてみたいけれど、仲間の死によって突き付けられる無力感に打ちひしがれたいって思うとこが、もうオトナだよね。